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有備無患

有備無患
■今日のことば
有備無患 「ゆうびむかん」 備えあれば患(うれ)い無し ともいう。
あらかじめ十分に準備を整えておけば、何が起こっても心配がいらない、ということ。

祖父母からよく聞かされた言葉だ。天変地異や政治の変動、経済の変化には十分な備えがあれば心配がいらないものだと、しかし現代はなかなかそう思うように備えなどできない。

食糧危機をとっても、その大半が輸入に頼っている現状で、個人でやれることは知れている。農産物はすべて人まかせで、かといって畑もないのに自給自足はできないもの。
大地震に備えろといっても、まだ大丈夫だといって人ごとみたいにおもっているのが人間だ。
経済もハイパーインフレや大増税、恐慌に備えれといっても、真綿で絞められていてその実感もわからず、ピントこないのが庶民の常だ。

財をなすものは要領よく備えるだろうが、庶民にとっては備えるものがないのである。なった時はなったようでしゃーないといったところか。そのほうが気楽でストレスがないかもしれない。

あるものにこだわるから、ものに心が奪われストレスがたまる。良寛みたいにものをもたず捨てた生き方もあるぐらいだから。
せいぜい学生が不意のテストに備えるぐらいしか「有備無患」という言葉がピッタリあてはまることしか思い浮かばないのである。

■■後記
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by 1too | 2008-08-31 01:26 | 文芸  

飽食暖衣

飽食暖衣
■今日のことば
飽食暖衣 「ほうしょくだんい」と読む。暖かい衣服を着て、飽きるほど食物を食べる。安楽にくらすこと。暖衣飽食ともいう。
用例ー暖衣飽食に慣れている日本人は、この地球上に飢餓に苦しんでいることなど、とかく忘れがちである。というように使う。現代の日本人にぴったりのことばだ。
さてこの語源をさかのぼると、「小学」にある孟子のことばに「飽食暖衣、逸居して教なければ則ち禽獣に近し」とある。これは、食べたいだけ食べ、着たい服はタンスの中にたくさんあり、暇を持て余してぶらぶら暮らし、ただそれだけで教育がないとすれば、その人間は禽獣(本能に赴くままのけだもの)に等しいものだ。
孟子のいう「教」とは今でいうと「徳育」にあたるだろう。数千年前の青少年にたいする心配ごとだが、現代にもそのままあてはまる。仕事もしないで親元で悠々自適に過ごし、しまいに親に八つ当たりして、しまいには親を殺してしまった事件は後をたたない。
徳育を最大の教えとしていたのは、徳川の江戸時代だったろう。しかしこの時代は知育に欠けていた。今は知育のみで、徳育がなされていない。この結果過去の時代以上に上記のような事件が多く繰り返す。私も戦後生まれだが、知育偏重の受験競争に明け暮れた青春時代をおくり、今その徳性が欠けていたのに気づき、老子や孟子、孔子といった歴史上の人物から徳性を学んでいる。
家庭も学校も「禽獣」を養成しているような甘い教育ではいけないと思う。徳性の涵養こそ今求められている気がしてならない。論語イコール軍国主義と結びつけるような、間違った価値観を払拭せねばこの問題の解決には程遠いだろう。ちなみに孔子の論語は軍事ぬきの人の生き方をのべた大変すぐれたよみものだ。知育と徳育のバランス感覚を教育の中で発揮してもらいたいものだ。

■■後記
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by 1too | 2008-08-28 15:40 | 文芸  

贅沢三昧

贅沢三昧

■今日のことば
贅沢三昧 「ぜいたくざんまい」と読む。したいほうだいの贅沢をすること。

バブルの頃はよく耳にしたことばであるが、今みたいな閉塞した世の中ではあまり聞かれなくなった。経済活動も停滞し、借金で持家を手放したとか、会社倒産で職を失ったとかばかりのご時世で、贅沢三昧などしているものなら、妬みで袋だたきに等しいのである。

テレビの話題は贅沢三昧のススメといった感で、バカバカしくて見てられない。
金に物言わせて有頂天になっている人間なんぞ見たくもないのである。しかしそれを見ているほうは、羨望の眼差しでよだれが出かかっているからしまつがわるい。
それよりも生前の土光さんのように、クーラーもなく質素な暮らしをしていた人
の方が喝采をうむ。得た金のほとんどは慈善教育施設に寄付していたというから正に、足りるを知る人でさすが臨調をまとめただけはある。

今はほとんど死語に近いことばになったが、「慳貧にして富貴なることを嫌う」という日本の風潮・文化があった。「けんどん」とは、欲深くいつくしみの心がないこと、つまり自分さえよければ他人のことはどうでもいいということになる。いつの時代でも嫌われる。また質素・倹約という言葉も死語とかしてしまった。もったいないという言葉も死語になったが、アフリカのその女史が復活させて国際的に広まった。リバイバルといったところか。
少しテーマと離れてしまったが、贅沢は敵と人々とは逆に進む方が世界的にはマッチしているかもしれない。

■■後記
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by 1too | 2008-08-25 21:15 | 文芸  

少欲知足

少欲知足

今日のことば
少欲知足 「しょうよくちそく」と読む。「欲少なくして、足るを知る」ともいう。現代訳にすると、ほんの少し欲をへらせば、きっと幸せになれる。

さて、語源を調べてみたが、紀元前の老子の道徳経の中でしばし使われている。
三十三章の「他人を知るより自身を知れ」(又は自らに勝つものは強し)の中に、「知足者冨」足るを知るものは富み、
四十四章の「欲望はほどほどに」の中に、「知足不辱」足ることを知れば辱しめられず、とある。
四十六章の「無欲のすすめ」の中に、「故知足之足常足矣」故に足るを知るの足るは常にたる、これは、(いったんの満足ではなく、真の満足を知るという心の豊かさこそ、永遠の豊かさである。)と解釈する。
さらに古くは、釈迦が「仏遺教経」という経典の中で「少欲知足」を伝えたともいう。

昔の人は偉かったと思う。人の道をわきまえた教えがあったのに、今は欲たかりばかりの世の中なのだ。考えてみると、科学や技術の進歩があったが、人の心は今も昔も変わらないのだなあと思う。
人の欲望には際限がないという。つまり1,000万円手に入れると、さらに一億円欲しくなり、それを手に入れると十億欲しくなる。
それと比べると近代の良寛や本阿弥光悦の母妙秀はみごとな生きざまだった。このことに触れると長くなるので、次回ということで。
「老いを汚す(けがす)」という言葉があるが、年をとっての金権欲・権勢欲ほど見苦しいものはない。ほどほどにしたいものである。

■後記
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by 1too | 2008-08-24 00:58 | 文芸  

読書尚友

読書尚友
■今日の言葉[孟子・万章下]
読書尚友「どくしょ しょうゆう」と読む。書物を読んで、古人(賢人)を友とすること。
先に太宗の学ぶ対象として、三つの鏡についてのべた。その一つに歴史に学ぶ、そして師からまなぶということは、いずれも人であり、賢人の書かれた本によってそれを学び知ることができる。
読書によってただ単に知識やテクニックを得るだけでなく、賢人を友とし、その感化を得ることができる。

父母からよく若いうちにできるだけ本を読むようにと、ことあるごとに言われたものだ。年になってそれがよくわかった。老眼・近視・乱視とあっては、なかなか読書がすすまないのである。目頭らが痛くなり、しまいに頭通におちいり、長時間の読書はつらくなる。翌日は二日酔いみたいに頭が重いのである。

若者に言っておくとしたら、「若いうちに本をたくさん読むように」ということかな。余計な御世話だと答えが返ってきそうだが、それよりおもしろいものが今の時代いっぱいあるのである。


私の本棚にはたくさんの尚友がおり、これまでの人生を支えてくれた。困難にぶつかった時やつらかった時など、そのときときに書物を師として自分の進むべき道を教えてくれた。ありがたいものであった。



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by 1too | 2008-08-21 21:34 | 文芸  

保此三鏡

保此三鏡

今日の言葉[貞観政要・任賢第三より]
「これ三鏡を保ち」と読む。唐の太宗が永く補佐してくれた部下の魏徴が亡くなった時に言った言葉で、前後の文を読み解くとこうなる。

太宗はあるとき侍臣たちに語って言われた、「それ銅を鏡とすれば、姿を映して人の衣冠を正すことができる。昔を鏡とすれば、歴史によって世の興亡盛衰を知ることができる。人を鏡とすれば、その人を手本として、善悪当否を知ることができる。我は常にこの三つの鏡を持って自己の過ちを防いでいた。ところが今、魏徴が死んで、とうとう一つの鏡をなくしてしまった」
と、よって、ややしばらくの間、涙を流して泣き悲しまれた。(口語訳)

歴史上東西随一の名君として手本となった太宗の言葉である。この貞観政要は北条政子や徳川家康等が愛好し、帝王学の教科書として、門下に普及させたという。

私も好きな愛読書であるが、なんせ上下巻千ページ(新釈漢文大系)に及び、しかも漢文を味わいながらの読書でもあり、生涯学習になりそうだ。

さてこの中で三つの鏡であるが、歴史から学び、人から学び、そして自分を写しだす鏡で外面を整え、接する相手に失礼がないようにし、また内面の心を映し出すことによって、常に謙虚に反省を怠らないこと。つまり常に我が心の窓を開いておくことが進歩発展につながることといえよう。


健康雑談
年のせいか腰やヒザの間接の痛み、そして目の疲れを特に感じるようになってきた。
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by 1too | 2008-08-15 18:02 | 文芸  

貧者一灯

貧者一灯

今日のことば[四字熟語]
貧しき老女がその日に稼いだ食事代すべて、人のために(一灯を)寄進した行為は真の布施とされる。長者の万灯より貧者の一灯のほうが絶大な価値がある。(お釈迦さま)
金持ちは多少の寄付したところで、生活にはこまらないが、貧者にとっては一灯の寄進でも、生死にかかわる大事なことなのである。だからこそ価値がある。

現代は自分さえよければいいという人が多く、寄付や寄進などしなくなった。
さる女性経営者たるや、頭の先から指先までダイヤモンドで飾り、歩くOO億円といってもてはやかされていた。儲けた金はダイヤモントを買いあさるらしい。持たざるもののヒガミなのかもしれぬが、なげかわしいかぎりだ。マスコミも一緒になっておもしろおかしく、もてはやしては
こまるのだ。青少年の育成に悪い影響を与えるだろう。私は最近くだらないテレビ番組が多いので、ここ2~3年前ぐらいから、テレビを見なくなった。

今ユニセフに3,000円寄付すると、アフリカのこどもたち数十人が死なないですむのだ。
現実を直視しよう。人として価値ある行為のために。
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by 1too | 2008-08-15 03:26 | 文芸